三遊亭円楽を引退を表明






周りの人間は「まだ出来る」というが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さない」

神谷幸右衛門。落語の「大仏餅」は、しゃべり慣れた演目なのに、その名前が出てこない。
「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」

 昭和の名人といわれた八代目桂文楽が高座で絶句したのは1971年で、
以後高座にあがることはなかった。
精巧で、寸分の狂いもない芸を極めた文楽だが、
晩年は、高座で絶句するという恐ろしい日に備えて、
あのわび口上のけいこまでしていたという
(『日本人の自伝』平凡社)。

 三遊亭円楽さんが、高座で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。
「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」。
一昨年に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて高座に戻ってきたのに、残念なことだ。

 「お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、
それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」。

一時代を担ってきたという誇りと芸への厳しい思いがにじむ。

 「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさむ事」と、
世阿弥の「風姿花伝」にある(『日本思想大系』岩波書店)。
多くの人を楽しませ、感動させることが芸能の目的だとすれば、
円楽さんもそうした芸のために才を磨いてきたのだろう。

 世阿弥は、50歳を超えたら「何もしないこと以外には手段もあるまい」とする一方で、
52歳になった父観阿弥の舞台が「ことに花やかにて、
見物の上下、一同に褒美せしなり」とも記した。
円楽さん特有の花が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。


平成19年2月27日 朝日新聞 「天声人語」より

BACK